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引退したあと、どこへ行くのか。スポーツと芸能のセカンドキャリアを、数字と4人の話で見る

プロ野球の選手が現役を退くときの平均年齢は、27.2歳。日本野球機構(NPB)が2026年4月に発表した、2025年に戦力外通告を受けた選手と現役引退した選手、合わせて169人の調査結果です。

27歳。多くの職業では、ようやく仕事を覚えきったかどうか、という年齢です。

この記事では、スポーツやエンタメの世界から一線を退いたあとに、別の道を歩いている人たちを取り上げます。あわせて、公的な調査で確かめられる数字も並べます。美談としてではなく、まず事実として見てみたかったからです。

まず、数字を見る

NPBは毎年、退団した選手の進路を追跡して公表しています。直近2年はこうなっています。

項目 2025年 2024年
調査対象 169人 157人
平均年齢 27.2歳 26.3歳
平均在籍年数 6.8年 6.3年

在籍年数は6年から7年ほど。高校や大学を出て入団し、20代のうちに一度目の区切りが来る、というのが平均的な姿です。

では、そのあとどこへ行くのか。2025年の内訳です。

進路 人数 割合
NPB関係(球団職員、コーチ、育成契約など) 90人 53.25%
その他の野球関係(社会人野球、独立リーグ、海外、解説など) 54人 31.95%
野球関係以外(一般企業、自営・起業、進学) 17人 10.06%
未定・不明 8人 4.73%

何らかの形で野球に関わり続ける人が144人、全体の85.21%。野球から離れる人は、10人に1人です。

この数字は、二通りに読めます。それだけ受け皿が育っているとも読めますし、それ以外の道が見えにくいとも読めます。どちらが正しいかを決めつける材料は、この調査だけでは足りません。ただ、10人に1人という比率そのものは、事実として残ります。

エンタメの側は、区切りすら曖昧になる

芸能・エンタメの世界には、NPBのような進路調査がありません。そもそも「引退」という区切りがはっきりしないからです。辞めると宣言しないまま、仕事が少しずつ減っていく。そういう形のほうが、おそらく多い。

代わりに、生活の実態を示す調査があります。文化芸術推進フォーラム(事務局は日本芸能実演家団体協議会=芸団協)が2023年7月に実施した「芸術家のセーフティネットに関するアンケート」です。回答は20,273件。

  • 回答者の6割以上が、年収300万円未満
  • 約4割が、2019年と比べて収入が50%未満の状態
  • 4人に1人が、社会保険以外の備えについて「金銭的な余裕がないため特に何もしていない」と回答

この調査は新型コロナの影響を受けた時期のものなので、平常時の姿とは言い切れません。それでも、2万件を超える回答が示す輪郭は重たい。舞台に立っている時間と、生活が成り立っている時間は、同じではないということです。

それでも、道を変えた人たち

ここからは、実際に別の道へ進んだ4人を取り上げます。いずれも本人の発言や報道で確認できる範囲の事実だけを書きます。

鈴木啓太さん — 現役のうちに、次を始めていた

浦和レッドダイヤモンズで16年間プレーし、3年間キャプテンを務めた元サッカー日本代表。2016年1月に現役を退いています。

注目したいのは順番です。鈴木さんが代表を務めるAuB株式会社の設立は、2015年10月15日。まだ現役の、最後のシーズンの途中でした。引退してから次を探したのではなく、選手でいるうちに次を始めている。

事業の中身も、現役時代と地続きです。アスリートの腸内細菌を集めて解析する会社で、2022年時点で40種類以上の競技、約950人、2200以上の検体を扱っていると報じられています。トップアスリートの腸には酪酸菌が一般の人の約2倍あること、新種のビフィズス菌株を発見したことなどが、その成果として挙げられています。

コンディションを整えるために自分の体で考え続けてきたことが、そのまま研究開発の事業になった。競技は辞めても、競技の中で育てた問いは辞めていない、という形です。

五藤晴貴さん — 23歳で辞めて、寺に入った

ジュビロ磐田のユースで10番を背負い、カターレ富山などでプレーしたのち、けがが重なって23歳で現役を退いた元Jリーガー。いまは静岡県島田市にある曹洞宗・林入寺の副住職です。

寺との縁は、結婚でした。妻の父が林入寺の住職で、寺を継いでほしいと言われた。2020年2月に結婚して婿入りし、横浜市の總持寺で2年あまりの修行を積んで、2022年4月下旬に島田へ戻っています。

サッカーとの関わりが切れたわけではありません。境内で子どもたちにサッカーを教えることがあり、寺で「風鈴祭り」を企画して、静岡県内4クラブのカラーの風鈴200個を飾り必勝祈願をしたことも報じられています。苦しい時期を経て今がある、ということを子どもたちに伝えている、とも語っています。

サッカーで食べていく道は23歳で閉じた。けれど、サッカーを通じて子どもに関わる道は、閉じていない。

菊池桃子さん — 40歳で、大学院に入り直した

1980年代にアイドル歌手としてデビューし、女優としても活動してきた人です。その菊池さんが40歳で法政大学大学院に進み、2012年に修士課程を修了しています。学んだのは雇用政策でした。

その後の歩みは、学んだことの延長線上にあります。2012年8月から母校である戸板女子短期大学の客員教授となり、キャリア教育を担当。2013年には、働き方を自分で選べる「キャリア権」の普及を目指すNPO法人の理事に就任。2015年10月には、政府の「一億総活躍国民会議」の民間議員に起用されています。

本人は取材に対し、「知らなかったことを知ることすべてが学び」と語っています。芸能の仕事で得た実感を、政策の言葉に翻訳し直した、という道筋に見えます。

つるの剛士さん — 49歳で、こども心理学部を卒業した

タレントとして長く活動しながら、40代で通信制の短期大学に入学。2022年3月に卒業して幼稚園教諭二種免許を取得し、同年12月には保育士試験にも合格しています。

そこで終わりませんでした。2023年、47歳のときに東京未来大学のこども心理学部通信課程へ3年次編入。そして2025年3月22日、49歳で卒業しています。認定心理士の資格取得に必要な単位もすべて取得したうえでの卒業でした。

「50歳を迎える前に大学卒業を目標にしていたので夢叶いました」と本人が報告しています。5人の子どもを育てながら、学生証を持って学割を使う。芸能の仕事を辞めたわけではなく、その横に別の専門性を足した形です。

4人に共通していたこと

並べてみると、いくつか重なりが見えてきます。

1つめ。誰も、直線を歩いていない。サッカー選手の次がサッカー解説者、タレントの次がタレント事務所の社長、というような素直な延長ではありません。腸内細菌、寺、雇用政策、こども心理学。どれも、前の職業からは予想しにくい場所です。

2つめ。全員が、何かを学び直している。大学院、修行、短大と大学、あるいは研究開発。これは日本では、実は珍しいことです。内閣府の男女共同参画白書(令和元年版)は、社会人が大学などの教育機関で学んでいる割合を、日本が2.4%、OECD平均が10.9%と示しています(原典は厚生労働省「平成30年版 労働経済の分析」)。4倍以上の開きです。

3つめ。誰も、前の職業を捨てていない。これがいちばん大事なところだと思います。腸の研究はアスリートだった体から出てきた問いですし、寺の境内にはサッカーボールがある。キャリア教育の講義には芸能界で働いた実感が入っているはずですし、保育の学びは自分の子育てと地続きです。

捨てて乗り換えたのではなく、持っているものを別の場所で使い直している。

この話を、子どもの話として読む

ここから先は、私自身の仕事の話になります。

私たちは福岡県粕屋町を起点に、子どもの学びに関わる事業をしています。そのなかに、地域の子どもが元プロ選手や表現者といった「本物」に触れる機会をつくれないか、という構想があります。

これは絵空事ではありません。以前、粕屋町と志免町の習い事教室を一通り調べてみたことがあるのですが、そのなかには、元プロ野球選手が指導するスクールやプロ球団が関わる教室が、思っていたよりも普通に混ざっていました。引退した人は、すでに地域にいて、すでに子どもに教えている。数字の上では「10人に1人しか野球を離れない」わけですが、離れなかった人の一部は、こうして町のなかにいます。

ただ、この構想を進めるうえで、自分に釘を刺していることがあります。

憧れは道を照らす光であって、なぞるべき型ではない。

子どもに元プロを会わせると、どうしても「あの人みたいになろう」という方向に流れます。でも、私たちが本当に見せたいのはそこではない。今回の4人を取り上げたのも、まさにそこが理由です。

鈴木さんが現役の途中で会社をつくったこと。五藤さんが23歳で辞める決断をしたこと。菊池さんが40歳で学生に戻ったこと。つるのさんが49歳で卒業証書を受け取ったこと。子どもに見せたいのは「成功した姿」ではなく、「選び直した姿」のほうです。

私たちの事業の言葉に、「好きが得意になり、得意が価値になる」というものがあります。今回調べていて思ったのは、この順番には続きがあるということでした。得意が価値になったあと、その価値が通用しなくなる日が来る。そのときにもう一度、別の場所で使い直せるかどうか。4人が見せているのは、その最後の一手です。

そして、それは引退する大人だけの話ではありません。好きなことがうまくいかなくなったとき、別のやり方を選び直していい。その感覚を子どものうちに持てるかどうかは、たぶん一生効きます。

人は誰かの理想になるために生きているのではなく、自分の人生を自分の意思で選ぶために生きている。私たちの役割は、そのための選択肢と機会をつくって、必要なときにそっと背中を押すことだと考えています。

引退した人の話は、実は、これから始める子どもの話でもあります。

ご協力いただける方を探しています

この記事を書いたのは、記録のためだけではありません。粕屋町を中心に、地域の子どもが「本物」に触れる機会をつくりたいと考えていて、そのために力を貸していただける方を探しています。

競技や表現の第一線を退いたあと、地域で活動されている方。たとえば、こういう形を想定しています。

  • 子ども向けのイベント、講演、お話の会
  • クラブチームや教室への、スポットでの指導
  • ワークショップ、体験会

決まった枠があるわけではありません。まずは「どんなことなら無理なくできるか」をうかがうところから始めたいと考えています。すでに続けていらっしゃる活動の、その延長で構いません。

分野はスポーツに限りません。声の仕事、音楽、美術、ものづくり、研究。子どもが「こういう大人がいるのか」と思える仕事であれば、どれも同じだと考えています。

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ITやWebのご相談も承っています

本業は、業務アプリやWebサイトの制作です。教室やクラブチームの運営、イベントの受付、会員や会費の管理といった、手間はかかるのに後回しになりがちな部分を、AIを使いながら形にしています。

「こんなことはできますか」という段階で構いません。いまお使いのExcelやノートを見せていただければ、話は早く進みます。

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出典

本文中の数値と経歴は、上記の公表資料および報道に基づいています。記載は2026年9月時点のものです。

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